2020年度

第40回全国大会はオンラインで11月7日(土)に開催いたします。セキュリティ等への配慮から、参加は事前登録制となっております。

  • 会員の方々は9月12日発行のニューズレターをご参照のうえ、10月24日(土)までに参加申請をお願いいたします。
  • 非会員の方々のご参加も歓迎いたします。参加を希望される方は、件名に「大会参加希望」と明記し、10月27日(火)までに事務局(vwoolfsocietyjpn@gmail.com)にご連絡ください。折り返し協会の銀行口座をご案内いたします。当日会費500円をお振込みしていただいた時点で申し込み完了となります。
    11月4日(水)までに大会URL をお知らせいたします。(セキュリティと公平性の観点から、大会参加URLは必ず事務局をとおしてお受け取り下さい。)
    参加申請を含む大会に関するお問い合わせは、すべて事務局(上記アドレス)にお願いいたします。
    *なお、システムトラブルなどにより画像・音声に乱れが生じた場合、その原因が何であれ、一度お支払いいただいた当日会費のご返金はできません。あらかじめご承知おきください。

プログラム、特別招待発表・シンポジウム要旨は以下の通りです

第40回全国大会 プログラム 

日時 2020年11月7日(土)10:30~16:40
実施方法 Zoomを用いたオンライン開催(要事前登録)

 

開会の辞 (10:50)
  大手前大学名誉教授 太 田 素 子
Ⅰ 特 別 招 待 発 表(10:50~12:00)
司会
成蹊大学教授 遠 藤 不 比 人
A Mother's 'Divided Self' in To the Lighthouse
  成蹊大学非常勤講師 Marie Geraldine Rademacher
Ⅱ 総 会(13:20~13:35)
司会
都留文科大学教授 加 藤 め ぐ み
会計報告、編集委員会報告、次期大会、その他
  同志社大学教授 山 本 妙
Ⅲ シンポジウム(13:35~16:30)
E. M. フォースター没後半世紀の遺産――ノスタルジア、ヘリテージ、クィア
司会
共立女子大学准教授 浦 野 郁
講師
千葉工業大学教授 三 村 尚 央
講師
中央大学教授 長 島 佐 恵 子
講師
福岡大学講師 岩 崎 雅 之
閉会の辞 (16:30)
会長
同志社大学教授 山 本 妙


第40回全国大会 特別招待発表・シンポジウム 要旨

特別招待発表

A Mother's ‘Divided Self' in Virginia Woolf's To the Lighthouse

Marie Geraldine Rademacher

Lily Briscoe’s statement “About life, about death; about Mrs Ramsay.” exquisitely encapsulates Virginia Woolf’s novel To the Lighthouse, by positioning the mother figure at the centre of the story. Previous critical discourse indicates that Mrs. Ramsay has been widely regarded as “unquestionably one of the most perfect statements of feminine sensibility, intuition, and maternal comfort in literature, as a magnetic force, entering and irradiating the lives of those around her.” She was also considered an idealized vision of wife and mother, as a symbol of lifeʼs victory over death and as a model of perfection. Yet, counter interpretations to Mrs. Ramsay’s glorified portrayal, although less common, still exist. Glenn Pedersen sees her as a negative force which hinders the integration of the family while she lives. This mixed reaction arouses from Woolf’s intention to disrupt the myth of the ʻbenevolent, selfless mother.’ In fact, I contend that Mrs. Ramsay is a narcissistic mother who is in constant need for recognition either from her family or guests for her good deeds and her performance as the perfect hostess and ideal mother. Although she shows signs of self‑absorption and is constantly on the lookout for self- enhancement, she is nonetheless capable of caring for her family. Her narcissistic personality is revealed to act as a shield and is rather a means for ʻself‑preservation’, a protection from losing sight of her own self.

  • Woolf, Virginia (2006): To the Lighthouse. Ed. David Bradshaw. Oxford University Press, 146.
  • Proudfit, Sharon W (1971): “Lily Briscoe’s Painting: A Key to Personal Relationships in To the Lighthouse.” Wayne State University Press. 13:1, 26.
  • Pedersen, Glenn (1958): “Vision in To the Lighthouse”. Modern Language Association. 73:5,585.
  • Freud, Sigmund (2013): On Narcissism: An Introduction. Read Book Ltd.

Biography:

Marie Geraldine Rademacher is currently a part-time lecturer of English Literature at Sophia University and Seikei University. She is also a researcher at the University of Tokyo. Her research focuses on travel narratives written by European women who came to Japan in the early 20th century. She has recently published a chapter on British and German scientific exploration in the Asian-Pacific Region, which was part of the edited collection The Discourse of British and German Colonialism published in July 2020 by Routledge and CRC Press.
In September 2017, she received her PhD in English Studies from Frei Universität Berlin, Germany. As part of her dissertation project, she examined the representation of narcissistic mothers in the works of several modernist writers such as D.H. Lawrence, James Joyce and Virginia Woolf. This resulted in the publication of her (200-page-long) monograph Narcissistic Mothers in Modernist Literature in September 2019 by the German publisher Transcript Press.


シンポジウム要旨

「E. M. フォースター没後半世紀の遺産――ノスタルジア、ヘリテージ、クィア」

司会 共立⼥女子大学 浦野 郁
講師 千葉工業大学 三村 尚央
講師 中央大学 長島 佐恵子
講師 福岡大学 岩崎 雅之

“There was something middling about Forster; he is halfway to where people want him to be.” ゼイディ・スミスのこの言葉が巧みに言い表す通り、E. M.フォースター(E. M. Forster,1879‑1970)は文学史的にも思想の上でも、その位置を見定めるのが難しい作家である。このことは、フォースターの死後に隆盛したポストコロニアル批評やクィア批評、そしてモダニズムを再定義する試みにおいても、時に作品が否定的な見方をされることに繋がってきた。しかし2000年代以降、スミスを筆頭にフォースターの影響を直接的・間接的に受けた作家が現れ、近年ではAlberto Fernández Carbajal, Compromise and Resistance in Postcolonial Writing: E. M. Forster's Legacy (2014)や、Elsa Cavalié and Laurent Mellet eds, Only Connect: E. M. Forster's Legacies in British Fiction (2017)、そしてEmma Sutton and Tsung‑Han Tsai eds, Twenty‑First‑Century Readings of E. M. Forster's Maurice (2020)など の研究書が立て続けに出版されている。没後半世紀を経て、フォースターが「遺したもの」を再考する動きが生まれていると言えるだろう。本シンポジウムでは、このような潮流を踏まえつつ、三名の講師の方々と共にフォースター研究における新たな可能性や方向性を探っていく。その過程において、いま再びフォースターという作家に注目することの意義を考えてみたい。(浦野 郁)

沈黙の充ちるフォースターの「場所」を再訪する

三村 尚央

 本報告はフォースターの鍵語の一つである「土地の力」に改めて着目することから始めた い。「土地の霊」(genius loci / spirit of place)をめぐる数々のエピソードはフォースター作品の魅⼒力でありながら、その不可思議な存在は作品内では予測不能の効果を人物たちにもたらす「何か」(something)として暗示的に表現されるのみで、実像がつかみづらいものとなっている。このような場所と空間の経験をめぐる思索は、1970年代から80年代以降に理論的に整備されて、これらの視点からフォースターの「場所」をとらえ直す研究も2000年代になってまとめられている。本報告では、近代化が加速していた20世紀初頭にフォースターが見出していた土地の力への期待についてのこうした研究成果にくわえて、「記憶の場」(site of memory)や多方向的記憶(multidirectional memory)といった場所と記憶の結びつきについての近年の思索も参照しながら、その現代における可能性を検討できればと思う。

Mauriceと/のクローゼット

長島 佐恵子

 よく知られているように、フォースターのMaurice(1971)は男性同性愛を描いたその内容から、フォースターの生前は一部の友人のみが読むことを許され、作者の死後まで一般読者に向けては公表されなかった。このテクストがいわばこうして「クローゼット」の中で育まれたという事実は、その後の作品受容においても影響を持ち続けているようだ。本報告では、まずフォースターとクリストファー・イシャウッドの交友の中でMauriceの「クローゼット」が果たした役割を検証し、さらに1987年の映画版を含め現代まで多くの作家や表現者がMauriceを継承する際にもその「クローゼット」性が常に重視されてきたことを確認したい。そこから「クローゼット」概念の持ち得る複雑な力についても考えてみたい。

「偉⼤大さ」の系譜――Howards End とOn Beauty

岩崎 雅之

 E. M. フォースター没後半世紀を契機とし、彼の「偉大さ」(greatness)を再認識しよう とする機運が高まっており、2020年3月には “What's So Great about E. M. Forster?” と題したトークが大英図書館で開催されている。実のところ、初めてフォースターの作品に「偉大な」という形容詞が用いられたのはHowards End(1910)に対してであり、現代ではZadie Smith がこの作品に対するオマージュとしてOn Beauty(2005)を著している。本発表では、On Beauty において、Howards End の地勢図、文化および階級の問題がどのように継承され、あるいは書き換えられているのかを読み解き、フォースター作品の「偉大さ」の抱える問題と現代的意義の双方を再発見することを目的としたい。

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